【事実は淡々とやってくる】

入社して三ヶ月近く。
まあ色々経験させてもらった方と思う。

入社して一週間目で上司が独立すると言い出した。
(なんだかんだで結局先週もこの上司と飲みに行き、来月一緒にセミナーを開催し、講師として招聘されたw 新入社員のソーシャルメディアリテラシーとかいうお題で、講演しますよ→http://bit.ly/cLZwK5 )

二週目で社長からクリボー呼ばわりされ、
君らを鍛えてあげよう、とかいって「某自社製品の海外展開戦略考えてみ」と宿題を貰う。
と同時に、システムの研修で外部機関へ左遷。
アマゾンもどきなWebシステムを作れるようにはなった。

入社二ヶ月目で、海外展開の課題に対して、インドに進出しましょうとかいう構想をぶち上げて、社長を始め取締役の前で発表して、見事に炎上の一歩手前まで行った。
(ちなみにこれに懲りず、来月第二回のインド進出構想をかます予定。)

入社二ヵ月半で、いつの間にかテレアポ要員に。大量の顧客リストを片手に、一日中電話するする。
一日最高80件くらいは掛けた。
罵声、中傷、ガチャギリの嵐に耐えながらも、なんとかアポを取っていく。
おかげで女の子に電話を掛けるのももう怖くなくなったぞ←(えっ)

入社二ヶ月目過ぎたころには一人でお客さんの前に立って商品を売りに行く。この頃は、三日連続日帰りで熱海行ったり、熱海からさらに片道2時間バスに乗って天城峠を越えて堂ヶ島まで行ったりとかいう無茶苦茶なスケジュール。
行って帰ってくる間に本を二冊読み終わった日もあった。
そして初めて行ったお客さん(熱海の旅館のおっちゃん)にまさかの説教を食らうw
(最後はなぜか気に入られて車で駅まで送ってもらったが。)

そして自社の製品のTwitterアカウントを作るらしく、先輩にTwitterの有効な使い方をレクチャーしてちょ、と言われる近頃。

とまあ今振り返ってみても俺三ヶ月の間に色々やってたんだな、と自分でも思うが、実際にやってた時は特に何を感じるでもなく。

ただ事実は淡々とやってくる。
それに解釈を与える自分。
ゴールのイメージが明確になればなるほど、事実に解釈を与えやすいのは確か。

その中で限界突破を繰り返して行くことに、今は集中しよう。

ITベンチャーに入社して一週間で思ったこと

ども、3/31に6年間の学生生活を修了し、社会人になりました。ITベンチャーに入社して一週間ちょっとが過ぎたが、ここで思ったことを列挙してみました。

以下こんてんつ

1.そもそも「配属」という概念があまりない。
2.「頭を振り絞って考える」ことを続ける事で、
尖ったアイデアは出てくる。
3.口を開けて餅が落ちてくるのを待っている場合ではない。
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学生最後の夜に考えること

さて、今日は3月31日。今夜で学生という身分をひとまず終え(将来的にまたなるかもしれませんが。)明日から某ベンチャーに入社する学生最後の夜に考えることを、まとめてみます。

以下こんてんつ

1.大学院の二年間
2.経験のインテグレーション
3.圧倒的に足りなかった視点
〜どうすればgiveできる人になれるのか?
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シリコンバレー旅行記

3/10から3/17まで、サンフランシスコ/シリコンバレーを旅してきた。基本はサンフランシスコ市内に泊って市内を観光しつつ、シリコンバレーで活躍している日本人と個人的にアポを取って話したり議論したり。
もともと行こうと思ったきっかけは、4月から放送と通信の融合を目指すITベンチャーに入社予定なため、入社前に本場のシリコンバレーで活躍している人に話を聞いてみたかったというもの。
それをTwitterで呟いていたら、現地に留学してたから知り合いを紹介してあげるよ、とか、同じ時期にシリコンバレー行くので現地で一緒に回りましょう、とか色んな人が現れてきて、具体的に話が進む。まさにTwitterなくして今回の旅はなかったでしょう。

以下こんてんつ。

1:訪問リスト
2:面白かったトピック
3:今後の身の置き方

1:訪問リスト

まずは訪問リスト。以下、会った日を時系列順に。

  • 船木信宏氏http://zuzara.com/
    • SmashBooth, Inc Founder
    • 朝の9:40からMountain view stationのカフェにて。出勤前の地元アメリカ人たちに交じって日本人二人が怪しげに(?)議論。コーヒーがうます。
  • 赤坂明氏
    • 株式会社フジコム企画室室長
    • California Avenueの中華料理で夕食
  • Niwa Yoshimasa氏http://twitter.com/niw
    • Twitter社のエンジニア
    • Twitter経由でアポを取り、オフィスを案内して貰う。その後サンフランシスコ市内のマレーシア料理店にて、日本人エンジニア4人と夕食。

というなんとも豪華なメンバー。よくこれだけアポが取れたものだ、といまだに思う。笑

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大学生・大学院生の研究室での生き残り戦略

大学院修了まで、残り一ヶ月足らず。何も分からずに『研究室』という組織に飛び込んで3年が経とうとしているが、さすがに3年も研究室にいると、研究室内の力学なり、教授との距離の取り方なりが自然と分かってくる。
加えて俺は東工大→東大大学院と進学して二つの研究室に所属し、その二つの研究室が対照的な環境(のちに詳しく述べる)であったため、比較対象ができた。
この辺で、ある意味「社会の縮図」でもある研究室で、どう振る舞えば生き残れるか、を自戒もこめて、まとめてみようと思う。

以下こんてんつ。

0:前提、研究室の構成
1:研究室を敢えて分類してみる
2:それぞれの研究室の特徴
3:さて、どうすればどう生き残るか

0:前提、研究室の構成

まず前提として、研究室の構成について。

トップに一人、教授もしくは准教授がいる。会社で言えば社長みたいなもので、この教授・准教授が全ての権限を握っていると言っても過言ではない。新しい実験装置を買ったり(金額にもよるが)、学会に行きたい、論文出したい、などといった時には、最終的には教授の許可がいる。

そして通常は、トップの教授・准教授の下に、助手がぶらさがっていて、企業で言えば中間管理職のようなもの。

助手は大学生・大学院生を指導したり、たまには自分で実験もする。

基本的に教授は自分では実験せず、助手や学生が出したデータを、自分の研究室の情報として、さも自分が研究したかのように発表する。まあ、前提はこのくらいでよかろう。

1:研究室を敢えて分類してみる

研究室を分類する切り口は色々あるが、ここでは横軸に【指導方針】、縦軸に【教授の影響度】のマトリックスで考えてみる。

スパルタ型 放置型
教授独裁型
助手分権型

【指導方針】は研究室全体での学生の扱い方で、スパルタ型と、放置型に分類できる。

  • スパルタ型とはまさしく言葉通り。学生が研究テーマを与えられ、ほとんどレールが敷かれている。次はこの実験、次はこの実験、という風に。話を聞く限りだと、助手に半年先の実験予定までびっちり決められた、という同期もいた。
  • 放置型も言葉通り、放置が続く。研究テーマが与えられた後自ら実験をして、自ら教授・助手に議論しにいったり問題提起をしない限り研究は進展しない。待てど待てど、教授・助手の方からはなかなか方針が与えられない。俺の同期で、研究テーマを自分で考えなと半年ほど放置され、半年後に教授に相談してやっと研究テーマが決まった、という人も。

【教授の影響度】は、トップの教授自身が研究室内でどれだけ直接学生の面倒を見るか、もっと言えば、トップの教授が各々の学生の研究にどれだけ介入してくるか、を指標としている。

  • 教授独裁型は、トップの教授が各々の学生の研究に介入してくる、教授が学生の研究テーマを直接決める、ディスカッションしたりする、
  • 助手分権型は、教授よりも、教授の下にいる助手にある程度権限が委任されており、助手がメインで学生の指導や研究テーマの決定、方向性を決める。

さてここまで分類したところで、上の表の1〜4の研究室の特徴を、もう少し細かく見て行こう。

2:それぞれの研究室の特徴

  • 1:スパルタ型×教授独裁型

研究室のトップの教授が学生の研究テーマに介入し、実験などの路線を敷いてしまう。学生と議論もするし、中には博士課程の学生の奨学金申請に必要な研究計画を、こう書くと通りやすいぞ、と指導する教授も。
当然学生が多くなればなるほど教授の労力は増え、一人当たりに掛ける時間は少なくなる。そのため研究室の規模が大きくなる(学生が10人を超えるあたり)と、このモデルは自然と崩壊する。
助手はマネジメント面ではあまり機能せず、自分の研究テーマに集中していることが多い。

  • 2:放置型×教授独裁型

一般にこのタイプの研究室はあまり少ないと思う。独裁型の教授は往々にしてスパルタ型になりがちな気がする。
ただ、1の【スパルタ型×教授独裁型】の研究室で、当然ながら教授に気に入られる学生と、気に入られない学生が出てくる。そして気に入られない学生は必然的に構って貰えなくなり、自らの研究室を2の【放置型×教授独裁型】と感じることは多々ある。

  • 3:スパルタ型×助手分権型

教授の下の助手が中心となって学生を指導し、助手が学生の研究を付きっ切りでみるようなイメージ。大体研究室内に複数名の助手がいて、この学生はこの助手のグループ、というふうに分かれている。1の研究室より監視の目が厳しくなり、自由度は下がる。AM9:00からPM9:00までは必ず研究室にいなさい、なぜならば研究室にいることに意味があるのだ、とここかのコンビニか、と思うほどの訳の分からないルールもあったりする。

  • 4:放置型×助手分権型

教授の下に助手がいるが、その助手が学生を放置している研究室。自由度は高いが、研究がカオスになる可能性が極めて高い。そのおかげで教授に「お前の研究はサイエンスじゃない」と言われる事態も起きる。助手の言ってる事と教授が言っている事がかみ合わないことも多い。

ちなみに、大学の研究室は1の【スパルタ型×教授独裁型】、大学院の研究室は4の【放置型×助手分権型】であったので、完全に対照であった。

3:さて、どうすればどう生き残るか

であるが、研究テーマがどうとか、頭振り絞って考えろ、とか言う前に、教授独裁型の研究室は教授にかわいいやつだなと思わせる、助手分権型の研究室では、助手に可愛いやつだな、と思わせることが一番重要であると思う。
学生にとって研究室とは「成果主義」ではない。同じような実験をして、同じような結果を出しても、学生によっては教授に「ふむ、まあ悪くないな」と言われることもあれば「なにこれ、研究になっとらん」と全否定されることもある。
教授に可愛いやつだなと思わせれば思わせるほど、前者になる傾向があるのは俺の気のせいじゃないだろう。社交性がなく研究室という環境に篭りがちな大学院生は、否定されればそりゃ研究が欝になる、研究室に来るのがいやになるだろう。しかも通常は教授からは無関心で、研究を発表する時になったらやたら否定され、その後も無関心だとなおさらに。
そして研究というやつも、その分野を1,2年かじったくらいの学生が方向性を決めてしまえるほど、生易しいものではない。(まれにそれをやってのける天才がいるが。)放置型の研究室でも、結局は教授や助手のアドバイスなり導きがないと、カオスになることはほぼ間違いない。

スパルタ型研究室では教授・助手に気に入られればいざという時融通が利く。放置型研究室は気に入られないと研究に関する議論が適当になり、研究がカオスになることはほぼ確定。そのくせ、研究を報告すると全否定しにかかってくる。

  • え、じゃあ気に入られる方法?
    • 飲み会の席ですかさず先生方にお酒を注ぎ話しかけましょう。
    • 先生方に話しかけられたら大げさにリアクションしてあげましょう。
    • ゼミのときに先生の隣に座って、先生に話しかけてみましょう。

この三つでいいのです。そうすればあなたの研究室生活はだいぶ、楽になるはずですw

結局研究室という組織でも、研究ができるやつ、ばりばり実験してるやつ、というよりも、教授にうまい距離を取って気に入られたやつが生き残りやすい。まあ当たり前か。サイエンスの最前線である研究室という場でも、所詮は人間なので実態はこうなのですよ。
いじょ。

2009年振り返りと2010年への課題

晦日、元旦はドライブに行っていてまとまった時間が取れなかったが、
昨年の振り返りと今年への課題を書き綴って見ました。

以下こんてんつ。

1.予測できない未来を生きる
2.人生の幅の拡大
3.圧倒的に足りなかった経験


1.予測できない未来を生きる
予測・計算できる未来を生きることと対照的な価値観として。
俺自身は自分自身がミーハーであることを自覚しているので、就職活動でも
みんなが行きたい企業=自分も行きたい企業、という思考回路になってしまう。
みんなが行きたい企業、すなわち、現在絶大な人気を誇る外資系戦略コンサルや外資投資銀行、総合商社を中心に受けていた。
それは、計算された未来を手に入れたかったのだろう。
コンサル、投資銀行、商社→MBAという絵に描いたようなキャリアを渇望して。
ちなみにこれらの就活生に共通しているのは「他人より優れていたい」という一種の欲望であると断言できる。
俺自身がそうであるからw

結果的にはWebを通じて放送と通信の融合を目指すITベンチャーに内定を貰い入社を決めたのだが、この決断によって予測できない未来が待ち受けていた。
典型的な例が10月に主催した内定者大運動会( http://undoukai2010.web.fc2.com/
内定先の同期の@toshimaru_e がふと「運動会企画に誘われたんだよね」と呟いたところに俺が反応したのがきっかけとなり、内定者大運動会2010という壮大なイベントを主催するに至った。
2010卒の内定者を集めて、6チームに分けて、運動会しましょう、という企画で企業50社、参加者760人ほどを集め、イベントクラブを貸し切った懇親会は560人ほどを集めた。
(詳細は前のエントリーを参照)
共に運動会を主催した13人の良い仲間に恵まれ、その仲間たちとはその後もダーツやらパーティーやら卒業旅行やらで、色々繋がっている。

まさに予測できない未来を生きた。
だからと言ってコンサルや投資銀行ではなくてITベンチャーに就職を決めて良かった、と安易に言いたい訳ではなく、
この経験から得られた重要な示唆は、
現時点で見える未来は、その後に起こる事象のほんの一部にすぎないかもしれない、ということ。


2.人生の幅の拡大
夏に行った、フランスのパリ郊外での一ヶ月のワークキャンプでの経験から。
イタリア 女2人
ドイツ 男1人、女1人
フランス 男2人、女1人
日本 男2人
スペイン 女2人
トルコ 女1人
スロバキア 女1人
韓国 女1人
というエキゾチックな環境の中で、りんご農園の小屋の拡大工事を手伝った。
そして人生の幅を広げるというのは、今まで生活していたフィールドでの前提条件をいくつか外した状態に身を置き、自らを適合させる事である。
前提条件として日本語が外れ、日本の食文化が外れ、日本の習慣が外れ。
そうすると、意外と開放的な気分になれる。
そういう場ってきっと、海外に行くだけじゃないよな。


3.圧倒的に足りなかった経験
というのは、自分が先頭に立って他人を引っ張って一つのことを成す経験であろう。
内定者大運動会でもメンバーの一員として貢献はできたけれど
組織全体を見渡してどうすれば組織が活性化するか考え抜き、
ぞれを実行してほかのメンバーをひっぱっていく、
というところまではできなかった。
同様に今関わっている学生団体でも補佐的な役割で、自分から組織を引っ張っていくという役割ではない。
しかしながら、今後内定先のベンチャーで求められているのはまさしく
新卒の社員たちが組織に新しい風を吹き込んで、組織を引っ張っていくことであるし
自分の力で社会にValueを出したいと思う以上は、避けては通れないことなのは明白だ。
なので、ここらへんが今年の課題であろう。

そういえば内定先の会社で、テニスをしたい社員はいっぱいいるのだが、全員をとりまとめて、サークルを作ったりするなど具体的な行動を起こして行く人がいないという。
なので、まずはこのあたりでリーダーシップを発揮してみよう。
まずは小さな行動から。
そして予測できない未来を生きる。

今年も宜しくお願いします。

2009夏 もう一つの思い出

事後報告になるが、10月5日に等々力アリーナを貸し切って
【内定者大運動会2010】なるイベントを、友人と13人で企画・運営した。

その名の通り、2010卒の内定者を集めて、6チームに分けて、運動会しましょーって企画。
競技は棒引き、玉入れ、玉転がし、綱引き、障害物競争、リレー・・・・・
なんていう、小学校の運動会と全く同じイメージ。

詳細こんな感じ→http://undoukai2010.web.fc2.com/

最初に運動会をやろうと言い出したのは、内定先が同じ同期の友達(友達の友達)で、
1000人規模の大運動会をやりたがってる人がいる、と聞きつけて
「1000人なんて集まるのかよ、それに当日1000人なんて大人数を管理しきれるのかよ」
なんて半信半疑な気持ちでキックオフミーティングに参加したのが7月上旬。
(結局、これらの課題を考えるのが俺の仕事として回ってくることになろうとは
この時は思いもしなかったww)

最初は、広報戦略を考えることをメインでやった。
どうやって内定者1000人を集めるか。
そしてその戦略を立てて、実行を他のメンバーに投げて一ヶ月ヨーロッパに旅立ったのだが・・・

やっぱり戦略なんてのは、立案するよりも実行する方がよっぽど重要かつ難しいな、と痛感。

戦略を立てるときは、他のメンバーがその戦略を「実行してくれる」という大前提に立っているが、実際には立てた戦略を他のメンバーが実行してくれなかったり、「めんどくさい」とかいう心理が働いてつい先延ばし、先延ばしになったり、と人間の心理的要素を多分に含むことに起因するのだと思う。

一つのコンセプトを打ち出し、周囲を巻き込むこと
そこに必要なことは分かりやすい説明ではなく、
感情的な刺激や、中心人物の人間の幅の広さ、
のようなものではないかと強く感じた。

そして、
いかに大きく華やかなイベントでも、地味な仕事の集まりがそれを支えていること、
苦労は連続的に感じ、感動はふとした瞬間に非連続的に一気に感じること
だからこそ、日々苦しくても頑張り続けることが大切なこと
真剣に取り組んだところに感動が生まれるものだなと。

結局、運動会自体は企業50社、参加者760人ほどを集め
イベントクラブを貸し切った懇親会は560人ほどを集めた。
いやーそれにしてもこんな大規模のイベントとか始めてやね。
ほんと、当日何回感動したか覚えてないわ。

アリーナに760人が整列したときに
リレーで、ひとりひとりが真剣に走る姿に
リレー、応援席で全員が大合唱しながら応援してる姿に
懇親会会場でクラブのステージに上がったときに、250人のどの参加者からはちきれんばかりの大きな拍手に包まれたときに
参加者の何名かがサプライズでケーキを用意してくれて、ステージ上で祝ってくれたときに
数え切れないほどの参加者からの「企画してくれてありがとう」という声に
実行委員同士の「おまえがいてくれてよかった」という一声に

いやあ、ホント最高の癒しになりました。

イベントって何回やってもいいものだね。

この夏、フランスでの体験のほかに、
忘れられない思い出がもう一つできました。