いつでも思い出すのは、フランスで14人で3週間過ごしたシェアハウス 〜 海外で仕事したいと思った経緯 その3

前回のネパールから帰国後は、一ヶ月くらい海外に行ける機会がないかを探していた。そして大学院の修士1年の夏に、ポルトガルの大学で3週間、抗癌剤の開発のインターンしてみないかというオファーがあったが(一応、当時の専門は生命工学だったので。)、研究室と就活で都合が合わず、断念。

そして2009年、修士2年の時にとあるNPOのプロジェクトで、フランスのパリから一時間くらい離れた村のオレンジジュース農園の拡大工事を手伝うという、ワークキャンプのプロジェクトに参加することになった。

現地集合、現地解散のプロジェクト

とりあえず参加が決まった後の通達書には、8/10の14:00にフランスのAngersっていう駅に来てね、プロジェクトは8/28までで同じくAngers駅で解散だから、切符の手配諸々よろしく('-'*) という何とも気軽な文章が書いてあった。

なのでプロジェクト開始の2日前の8/8にパリに到着して、8/28から一週間くらい旅行期間を入れて、9/5に日本に帰国する航空券を購入。おいおい、これ当日行って駅に行って誰もいなかったらもはや笑えるというか、そのあと8月28日まで何すればいいってんだ、と不安に思いながらもAngers駅まで一人向かったのを今でも思い出す。そしてAngers駅に到着したら既にバックパッカーを背負った先に集まってたメンバーがいて、一安心したものだ。

初めての英語での生活と、いくつかの気付き

その時の細かい出来事や何にカルチャーショックを受けたかなどは、以下のエントリーに書いてあるので省略するが、

非日常的な体験、世界の中の日本
カルチャーショックと英語格差


このプロジェクトの良かったところは以下の3点だ。

・世界中から同年代の若者が集まっているところ。(イタリア2人、ドイツ2人、フランス3人、日本2人、スペイン2人、トルコ1人、スロバキア1人、韓国1人てな構成。)公用語はもちろん英語。

・14人で、でっかい一戸建ての部屋をかりて、食事を自分たちで作って共同生活するところ。ちなみに働くことの対価としてか、滞在費、食費はかからなかった。

・オレンジジュース農園の拡大工事の手伝いは基本15:00くらいで終わって、メンバー間の交流がたっぷりあったところ。


なので、仕事終わった後はトランプしたり、サプライズで誕生日を祝ってもらったり、3人一組に別れて昼食と夕食を毎回各国の料理を作ったり、収穫したオレンジで村の人とパーティーしたり、近くの街に行ってカヌーしたり、ナントという街を観光したり、日本の歌舞伎について教えたり、、とホントに色んな経験ができた。

その中でも大きな気付きを得たのが、各メンバーが自分たちの国の問題点について説明し、ディスカッションした時のことだった。
イタリアは政治にマフィアが蔓延っていて街のいたるところにマフィアがいて治安が最悪なこと、韓国は熾烈な受験の代償としての自殺者が後を絶たない事、スペインは当時からリーマン・ショックの影響で若者の失業率が既に30%を超えていることなど、各メンバーから語られるトピックは、その国に住む人達の実感値としてとても説得力があった。そしてどの国の若者にも共通しているのが、政治への不信感。政治に希望を持っているか?という問にYesと答えたメンバーは、14人中1人もいなかった。

その時、国の借金がGDPの200%を上回っているだとか、高齢化社会がどうだとか、人材の流動性が少ないだとか、日本にいると日本だけが色んな問題を抱えていてそれだけに目が行きがちだが、世界中で問題を抱えていたい国なんてないのだと、という気付きを実感として持てた。

またヨーロッパの人達にとって外国へ行くこと、例えばイタリアからフランスに行くのは、日本でいう違う都道府県に行くぐらいの感覚なんだということ。そりゃ陸続きになっている国に入れば、子供の頃から色んな国の人と接する機会も増えるだろうし、中にはイタリア語、フランス語、スペイン語が話せるよ、っていうツワモノもいた。

そして英語格差は確実に存在することを実感した。メンバーの中にはフランス語しか話せなくて英語があまり話せない人がいた。イタリアのメンバーとかとコミュニケーションを取る時はフランス語でも意思疎通できるが、やはり5,6人集まって話す時になると英語が話せない分、メンバーの中での存在感というか、プレゼンスが低くなっていった。この14人の中でも確実に英語格差によって、その人の存在感に影響を与える。考えてみれば当たり前のことだが、これには当時強烈な危機感を持った。

ちなみに私がFacebookを始めたのも、このキャンプがきっかけだ。当時日本ではFacebookをやっている人は殆どいなかったが(代わりにmixiがあったな。)、ヨーロッパでは既にスタンダードになっていた。「See you on facebook!」っていうフレーズもこの時初めて聞いた。


1ヶ月弱のワークキャンプを通じて、多様性の中で生活し、その中で気付きを得ることが自分の中に新しい部屋ができるような感覚だった。この時だろうか、将来は海外で明確に仕事をしたい、と思うようになったのは。そして次回は最終編、海外で働きたいという思いを決定的にさせた、シリコンバレーでの衝撃について。