雑多なアジアの匂い@ネパール〜海外で仕事したいと思った経緯 その2

さて、ロサンゼルス、ニューヨークから帰ってきて、漠然と海外に対する興味が増し、観光から一歩進んでその街を知ることに興味が向くようになった大学3年生の冬休み。


当時お世話になっていた社会人から、「ネパールのサランコットという村で10年前から小学校を建設して、現地の村の子供達の教育支援をしている。今度新しい支援制度を考えているのだが、現地の村の調査をして、実体を調べてベストと思える支援制度を考えてみないか?」とのオファーがあった。ので、友人と二人でネパールに行くことに。

そこにあるのは、剥き出しの人々の生活

カタールのドーハ経由で、20時間超のフライト。
空港に降りると、タクシードライバが引っ切り無しに荷物を掴んで、俺のところに乗れや、と近づいてくる。油断しているとあっという間に荷物を持ってかれてしまう。


首都カトマンズは、車の排気ガスと雑多な匂いがした。
首都でさえ電気の供給もままならず、一日平均6時間くらい停電がある。


ニューヨークとの対比で、あの街には何でもあった。綺麗な空気も、魅力的に整備された観光名所も、便利な交通も、エンターテイメントも、ブランドも。
一方この街にはニューヨークのような華やかな要素は何もない。そこにあるのは、剥き出しの人々の生活。現地の人が入るレストラン。川沿いに出れば火葬所が見える。


途中仲良くなったネパール人の家に招待してもらった。停電が起きたが、それでもネパールの人達は慌てず、ろうそくを持って粛々と生活をし、ご飯を食べ、知らない俺たちにも気を配りながら、自分たちの生活を語る。


それで調査のために、カトマンズからポカラという都市に向かう。


ポカラまでバスで悪路に揺られ、8時間くらい。静かな湖畔の街である。そこからさらにタクシーで30分くらい、サランコット村に向かう。社会人の人と現地で合流し、村の住人の家に泊めさせt貰った。2日に渡って村を視察したり、他の住人に話を聞いたり、小学校に行って子どもたちになぜか算数を教えたり。最終的には、奨学金ではなく、カバンやノートなどの現物支給制度を考えて、提案した。(ここで国際支援の是非は問いません。)


生活自体は確かに不便だったが、村の人達はとても暖かかった。サランコット村は標高が高く泊まっていた場所からは星がすごく綺麗に見えた。


シャワー施設もなく、お風呂は一ヶ月に一回井戸の水で洗う、という生活で、ポカラに戻って3日振りに浴びたシャワーは、今まで浴びたシャワーの中でも一番気持ちよかった。


この旅で、何となくアジアが好きになった。現地の生活に入り、そこにある剥き出しの生活の中に溶けこんでいく感覚がたまらなく好きだった。今回の旅は一週間くらいだが、そして次はもっと長く、海外で生活をして現地の生活に溶け込んでみたいと。それが、フランスでの一ヶ月のワークキャンプに繋がっていった。